拓人代表 松田正男から、塾オーナーを目指すあなたへのメッセージ 「拓く人 」へ 世界を拓く。自分を拓く。

オーナー様へ贈る経営物語「塾と生きる。」

01.私塾のはじまり

塾を始めたのは、母親を食べさせるためでした。

私は母子家庭だったんです。私が上京してからは、母と祖母は実家で二人で暮らしていたのですが、24歳の時にその祖母が亡くなり、おふくろが一人になってしまったんですね。7歳離れた兄は家庭を持っていましたから、「お前母親の面倒見ろ」ということになって、やむなく仕事を辞めて実家に帰ることになりました。

私の実家は千葉県の富津というところで漁師町なんです。
そこでしばらく母親の面倒をみることになったのですが、仕事をどうするかが問題でした。漁師町だから漁師になることも考えましたが、そんな経験まったくないですし、会社を興そうと思っても経営の経験もない。

でも自立して、母親を食べさせていかなきゃならない。いろいろな商売はあるけれど、まだ24で経験もお金もない自分にいったい何ができるだろうと考えました。もし今すでにあるビジネスを始めたとしたら、プロの中にまったくの素人が入っていって勝負しても、勝ち目がないかもしれないと思ったわけです。

自分にできることは、何か。

まだあまり誰もやっていないビジネスで、自分の得意なことを活かすことができて、そして食べていけるものとはなんだろうと考えたら、塾があったんです。だから子供が好きとか、こういう教育をしたいとか、最初から大志を持って塾を始めたわけではなく、自分の器の中で母親を食べさせていく方法は何かと考えたすえに、塾にたどり着いたんです。それで、実際に塾をはじめました。漁師町なので、親も勉強がきらい、その子供も勉強がきらいというのが大半なわけですよ。

遊びならいいけれど、勉強でお金を取る。そんなビジネスが続けられるのかという不安はありました。しかし、そんな中でがむしゃらにがんばって、夢中になって子供たちに勉強を教え続けました。そうしたら、おかげさまでそこそこ生徒が集まってくれて、食べていけるようになったんです。それが、私の「塾」のはじまりです。食べるために、「教える」ということを仕事にしたんです。

02.師匠との出会い »

02.師匠との出会い

師匠との出会いが私を変えてくれました。

塾をはじめて少し経った頃、自分の師匠にあたる人に会いました。それは中学二年生の生徒でした(笑)。名前は今でも覚えています。みきお君(ここでは名字を伏せますね)。とてもなついてくれまして、よく一緒に釣りに行きましたね。

ある日桟橋で釣りしてたら、みきお君は魚を釣るんじゃなくて私を釣っちゃったことがあって。投げる時に私の腕に針がささって、痛たたたっとなったわけですよ。二人で病院に行ったら、そしたら先生がペンチ持ってきましてね。大人なのに泣きそうになりました。まぁ、そんな思い出がたくさんあるほど、仲がよかったんです。

その子があるときこう言うんです。「先生、つまんない」。自分としては一生懸命がむしゃらに教えていたつもりだったのですが、生徒にとっては楽しくなかったのですね。その言葉にものすごい衝撃を受けました。それで必死になって子供たちに楽しい授業ができるように、飽きさせないように授業の内容を変えていきました。彼がいなかったら気づかなかったかもしれません。そういう意味でお師匠さんなんです。授業方法の核心に気づかされたわけです。

楽しさだけじゃダメ。おみやげが必要なんです。

しばらくたって、またみきお君に言われたんです。「先生、月謝払ってんだよ」って(笑)。そしてまたガーンとくるわけですよ。子供が求めているのは、楽しさだけじゃない。成績に結び付く授業をしないとダメなんだというお師匠さんからの二つ目の言葉があったわけです。それからは、その2つをとても意識して授業をしました。

これは木戸銭だと思ったんです。木戸銭というのは江戸時代とかに、芸人たちがむしろの中で芸をして、お金を払わない人は見させないという出し物のことです。つまり、私の方法でその木戸銭をもらえるかどうかじゃないかと。

だから、楽しく子供達が沸くような話をしなければいけないと同時に、おみやげを持って帰らせないといけないということをすごく意識して授業を変えていったんです。おみやげというのは、これで点数を取れそうっていう気持ちを“おみやげ”として持って帰れるようにすることです。今まで分からなかったことが分かるようになった、というものを、1回の授業の中で1つちゃんと提供してあげる。これがやっぱり授業テクニックなんですね。

« 01.私塾のはじまり | 03.心のトゲ »

03.心のトゲ

バランスを取ることで罪悪感を埋めていたんです。

授業は楽しくしなければいけない、おみやげを持たせなければいけない。それは子供のほうが求めているものです。これを教える側から考えてみると、1つの教室に20人集めて授業をしているわけですが、自分の中では20人ならば誰にでも理解させることができると、たかをくくっていたわけです。学校はその当時1教室50人ですから、20人なら理解させられると思っていたんですね。でもやっていくうちに、できる子とできない子をどうしていくかという壁にぶつかりました。できる子に合わせると、できない子がついて来れられない。かといって、できない子に合わせると、できる子たちからは不満が出てくるんですね。

そのできる子らの自分に対する目線がとても冷たいんです。その程度のことしか教えられないの?みたいな目で見るんです。これはツライ。だからその子たちのために一生懸命手書きで問題を作って、これ解いてみな!なんてわざと難問を突きつけたりして、不満を解消するわけです。
でも、できない子たちはついていけない。そうすると申し訳ないなぁと思うんです。だからその子たちには、基本的なものをできるだけ丁寧に教えてあげることで、自分の中での罪悪感を薄めようと必死でしたね。

塾はうまくいった。でも、心に何かトゲが残った。

そうやって一生懸命にバランスを取りながら授業してきたんですが、やっぱりどこかにトゲが残るんです。本当に月謝の分だけのサービスを提供できているのかという不安が出てくるわけですよ。集団塾は一人で20人教えているわけだから、確かに儲かる。でも自分の人生として捉えると、20代、30代はいいだろう、でもリタイアして60過ぎた後で自分を振り返ったときに、お金儲けのために自分の人生の大半を使ったなぁと思ったら、人生もったいなさすぎると思ったんです。

その時に、世の中を見た気がしました。学校の先生ってなんだろう。自分は20人でも罪悪感を感じるのに、50人も教えていて何にも感じないのかと思ってしまったんです。自分は同じ人生を送りたくないって。先生に対する挑戦状みたいで、悪口を言うつもりじゃないですが、でも本音です。学校の先生に対して怒りに似た不満を感じたんです。教室は9つまで増えて成功していたのですが、私にとってはこのトゲをどうするかのほうが重要な問題でした。

« 02.師匠との出会い | 04.人生とビジネス »

04.人生とビジネス

そのトゲを抜くために家庭教師を始めた。

その心のトゲを抜くために、どうしたらいいかを考えました。それで一人ひとりを大切にする授業をしようと思い、今までの集団塾に加えて、家庭教師派遣を始めました。それが通じたのか、家庭教師派遣もおかげさまでうまく行きました。

どんどん生徒が増えました。心のトゲもちょっとは痛くなくなりました。集団塾ではなく家庭教師のほうが、一人ひとりの生徒に対してきちんと向き合うことができるのが、うれしかったです。

で、これでいいかなと思っていたんですが、今度はビジネス的に、将来この家庭教師派遣というビジネスはダメになると気づいたんです。どうしてかというと、子供の家に講師を派遣して子供の家で授業させているわけですから、私には見えないんですよ、授業風景が。当然レポートを書かせて、どんな授業をしたのかを報告させるのですが、それですべて授業風景が見えてくるかというと見えない。講師のレベルを上げていく、サービスレベルを上げていくことが、家庭教師派遣だと難しいのではないかと思ったわけです。

家庭教師には、サービスの限界がある。

そのまま続けていってもサービスの質は上がっていかない。でも時間の流れの中で子供たちや親御さんの要求や期待は益々ふくらんでいくはず。すると将来、親御さんの求めるもののボリュームと、こっちから提供できるサービスのボリュームにアンバランスが起きてくるだろうな、と。そして不満がたくさん出てくるはずだ。このビジネスを続けていくことは危険だなと思ったわけです。

大切なことは、“時間”を意識することです。自分の人生という中でも時間を意識しなければいけないし、ビジネスの中でも時間を意識しなければいけない。だから最初は自分の人生の時間を考えて集団塾に疑問を感じ、今度はビジネスの時間を考えて、家庭教師派遣に危険を感じたんです。

自分の人生とビジネスとしての辻褄を合せるためにはどうしたらいいかを徹底的に考えました。一つの時間で考えるのではなく、人生やビジネスなど多様な時間感覚でものごとを考えること。それがこの時期に私が一番注力したことでもあるし、悩んだことだったのです。

« 03.心のトゲ | 05.個別指導の原点 »

05.個別指導の原点

子供を王様ではなく、“生徒”にするんです。

家庭教師が1対1で教えるのはいいこと。でも家に派遣するのはよくない。そこで考えたのが、子供を教室に来させればいいんじゃないかというアイデアでした。当時オフィスがあったのですが、そこには机と電話しかない。スペースが余っていたんです。それでこのアイデアを実行することにしました。先生を自分の目の前で授業させることのメリットは2つあります。

まずお母さんが楽なんです。本当ならすっぽんっぽんで(笑)テレビ観ながら横になっていたいのに、家庭教師が来るとなると静かにしてなくちゃならない、お茶出さなきゃいけない。面倒くさいんです。子供を外へ呼び出せば、お母さんが楽なわけですよ。

2つめは、とても大事なことなのですが、家にいると子供は王様になってしまうんです。わがままになるんです。そして先生がお客さんになってしまう。それが関係的に非常によくない。でも教室という環境に連れ出せば、子供は王様じゃなくて生徒になるし、先生はお客じゃなくてちゃんと先生になれるわけです。

病院のカーテンでしきった部屋。それが個別指導塾の原点です(笑)。

「教室に呼んで1対1で教える」というアイデアは、私自身の心のトゲを抜いてくれました。それだけではなくビジネス的にもいいことなんです。少しくらい経費が増えても、本当に生徒や親御さんが満足するほうがビジネスを成功させるためには絶対に有効なんです。よくビジネスをやる人は自分を主体的に考えてしまいがちです。つい経費は少ないほうがいいと考えてしまう。でもそれはダメなやり方です。少しぐらい経費がふくらんでも、サービスレベルが上がれば、生徒はもっと増えます。だから教室に呼んで1対1で授業をしたほうがいい。そうすると自分の目が先生を監視できますから、サービスやシステム面でも改善することができるんです。

最初のころは、パーテーションなんてありませんでした。どうしたかというと、病院の、なんていうのかな、ベッドのまわりのカーテンみたいな布があるでしょ?あれをいっぱい買ってきたんです(笑)

それで部屋を細かく区切って、それぞれに二つずつ机とイスを置いたんです。これで島ができるわけですよ。この島を増やしていったんです。病院のカーテン。それがうちの個別指導の原点なんです。

« 04.人生とビジネス | 06.新たなる挑戦 »

06.新たなる挑戦

9つの集団塾をすべてやめました。一から出直しです。

家庭教師と集団塾のいいところを組み合わせて、個別指導塾がスタートしました。心に刺さったトゲも消えたし、ビジネス的にもサービスの質を高めていくことで、生徒の満足度を高めていけると感じました。必死になって夢中で改良改善していきました。これが集団塾から家庭教師、家庭教師から個別指導へ移っていく過程です。それで、よりよいものをつくるために、9つの集団塾を全部やめました。一から出直しです。

世の中には、集団塾をまだやっている人もいるし、家庭教師もまだやってる所もある。でも私の見たところ、家庭教師派遣業はそんなに伸びていないはずです。自分に先見の明があったとは言いませんが、正しい選択をしたと今でも思っています。

次は名前です。それまでは地域の名前を使って、「君津進学塾」という集団塾っぽい名前でした。でも今度は個別指導に変えたわけなので、当然名前も変えました。社員から名前を募集してみんなで検討したり、いろいろ紆余曲折があったのですが、最終的には個別指導を「Individual Education」という造語で表現することに決めました。それが「スクールIE」のはじまりです。

日本地図を見て、そうだカーフェリーで神奈川に行こう!と。

最初は千葉の近郊だけでしたが、今まで以上に生徒が集まってきたこともあって、外へ目を向けようと思い始めました。個別指導は、大学生が講師なわけです。だから大学生がいないと開けないんですね。

君津や木更津はその当時大学生が少なくてどうしようかと思っていた時に、偶然日本地図を見ていたら、海の上に点線があるのに気付いて。この点線は何だろうと思ったらカーフェリー。そうか、カーフェリーで行けば、神奈川県に行ける。神奈川県に行けば大学生いっぱいいる。よしカーフェリーで向こうに行こう!と思ったわけです。ということで、金谷から久里浜に渡ることにしたんですね。

昔鎌倉に遊びに行く途中で通った、衣笠っていう駅がたまたま記憶に残ってたんです。衣笠って、野球の鉄人がいたでしょ。それで衣笠に教室を開くことに決めて、準備をして神奈川第一号の教室をオープンしました。すると、これが当たりました。直感が働いたんですね。

デパートの屋上からその町を眺めればだいたい分かるんです。

神奈川に出たあと、千葉県の上のほうにも出したいと思い始めて。それが茂原という場所。これも休日に銚子に遊びに行く途中で偶然目に入った駅だったんです。衣笠とちがって茂原は、教材会社の人にも先生にもみんなに反対されました。あそこは農家の人がほとんどで、塾なんかにお金を出さないというわけです。だから進出しないほうがいいとみんなに言われました。それで単身で茂原まで行って、デパートの屋上に上がって町を見渡したんです。

昔からよくやるのですが、デバートの屋上から町を見て、いけるかな、どうかなと町を感じ取ることで判断するんです。マーケティングのひとつの方法ですね(笑)。要は、その町の活力をカラダ全体で感じようと思って、高いところへのぼっていたんですね。で、いけそうな気がすると思ったんです、直感で。そして教室を出すことに決めました。茂原にはその後もう1つ教室を作ったのですが、この教室が今でも全国で1位なんですよ。とっても古い教室ですし、思い入れのある場所ですね。

今考えると、衣笠と茂原がスクールIEの分岐点でした。

衣笠のおかげで神奈川に進出できる足場ができて、茂原もうまくいって、これで自分には次があると思いました。次のステージが。ここで失敗したら、木更津・君津あたりで自分の人生終わっていたはずです。その分岐点でしたね。周囲のブレーンがいろいろ言っても、自分の勘を信じる時は確信を持って信じる。ちょっとしたセンスの違いなんですがこれが大事なんです。

逆に教材会社の意見を聞きすぎて、少し失敗したと思っているのが埼玉です。私は埼玉に出ていこうと思った時期があったんです。そしたら教材会社の人が「埼玉は無理です、焼け野原です」と言うんです。要するにいろんな塾がたくさん進出していてカオス化しているから難しいですよ、ということでした。

理論的にもその通りだと思って、出ていかなかった。でももしその当時出ていたら、もっと早く成長できたかもしれないと思うこともあります。教材会社の人たちもプロの目でアドバイスしてくれたわけですから、すべては自分で判断したことです。データも大事です。でもあの時一度デパートの屋上から町を眺めるべきだったと、今でも思います。

« 05.個別指導の原点 | 07.経営者としての思い »

07.経営者としての思い

経営者は自分のためのメリットを追いかけちゃダメです。

最初は集団塾からはじめたわけですが、やっぱり自分の中の人生観として違うと感じてから試行錯誤を繰り返しました。心のトゲを抜くために家庭教師派遣に切り替えて、でも今度はビジネスの観点から将来的に伸びないことに気づいた。人生とビジネスの両方できちんと納得できるにはどうしたらいいんだろうと必死で考えました。そうして生まれたのが、個別指導です。もちろん集団塾のように一人の先生がたくさんの生徒を教えるほうが利益は多い。もしくは家庭教師を家に派遣したほうが、固定費もかからない。でもそれはあくまでも経営する側のメリットで生徒のメリットではないんですね。経営者としてやっていくためには、自分のメリットを追いかけてはダメなんです。これはとても大切なことです。お金を払うお客さんのためのメリットを突き詰めていかないと、絶対にうまくいかない。自分のメリットを考えてコストを下げることに必死になってばかりいてはダメなんです。

私もそういうメソッドや思想を最初から持ってたわけではありません。何といっても母親と自分が食べるためにはじめたわけですから。でもやっていくなかでいろんなことを学んでいった。だからこれは、ある意味で悟りだと思います。仏教でいう出家と在家みたいにね。悟りを開くためにお寺にいるお坊さんは出家と言いますが、俗世間の中で真理を求めていく人を在家と言うでしょう。私は在家です。悟るということとは少し違うかもしれないけれど、自分の中で階段をのぼって、さまざまなことに気づいて、そして自ら考えて、考えて、考え抜く。どこまでいけるのか、これからも追求していくつもりです。

« 06.新たなる挑戦 | 08.あなたへのメッセージ »


08.あなたへのメッセージ

私たちには“目に見える武器”がある。

私たちは一人の生徒を本当に理解することから始めます。

拓人には“武器”があるのです。教育とはかつて目に見えないビジネスでした。プロとアマチュアの境目がつきにくい、曖昧で漠然としたものだったのです。
私はそれがどうしても許せなかった。たとえばある生徒は、20年経験のある学校の先生の授業より、うちの大学生の先生の授業に目を輝かせる。なぜか。それは私たちが目に見える教育、つまりプロとして「教育の見える化」を徹底しているからです。

拓人の使命は、「生徒一人ひとりに満足を与える」こと。そのために、私たちは一人の生徒を本当に理解することから始めます。これは集団という形態(たとえ学校でさえ)では、決してできないことです。

私たちには3つのツールがあります。生徒の性格を知るための「ETS」、生徒の学力を知るための「PCS」、そして生徒に一番ふさわしい勉強スタイルを知るための「BCS」。この3つのメソッドを数値化することで、生徒一人ひとりをきちんと理解することができるのです。

そしてここからが大切なのですが、その生徒が何をしたいのかを自分の口から言わせるのです。そして生徒自身が目標を自覚し、意識し、そこへ向かうためのやる気スイッチを入れます。私たちの役割は、生徒たちを今いる場所から目的地まで導くこと、それに尽きます。

今は本物が求められる時代。曖昧なものは手にしてくれません。私たちは3つのツールをパッケージ化しオーナーになる方に提供します。私たちが長年かかって作り上げてきた武器は、誰にも真似することができないでしょう。私たちの“目に見える武器”があれば、どんな地域環境でも生徒を集めることができるはずです。それが、拓人の何よりもの強みです。

世界の拓人へ。その挑戦はもう始まっている。

自分たちのノウハウが日本独自の価値観に基づくものなのか、それとも人種や文化を超えても支持される普遍的な価値のあるものなのか。これを問いたい。そんな思いから、私たちはまず台湾へ進出することを2年前に決めました。これは拓人にとって非常に大きな分岐点でした。

以来、先生も生徒も台湾の人々という環境の中、私たちは台湾にてさまざまな施策を講じました。そして2年かけて着実に成果を伸ばし続け、今では教室数も2桁まで増加。2010年夏にはフランチャイズの本部を台湾で立ち上げました。テレビ局も取材に訪れ、今、ぜひやりたいというオーナー予備軍がどんどん手を挙げてくれています。台湾は見事成功したのです。

その実績をもとに、今はより大きな市場である中国、そして韓国への進出を視野に入れて動き出しています。今年、私は何度も中国へ足を運び、国や教育のリーダーと話をしました。彼らに共通して言えるのは「危機感」を持っているということでした。話の中で私が感じた事は、中国の子供たちは、親が求めるものと、自分自身の能力のギャップに悩んでいるというのです。資本主義化しニューリッチが台頭する中、親はこの風潮に乗り遅れたくない気持ちでいっぱいです。つまり、親が自分たち家族の利益のために子供に投資している。それが問題だと私は感じました。

日本では尊敬される職業も、中国ではそうではない。でも子供がどの未来を選ぼうと、本当は自由なはずです。もし私たちが中国へ行くことで、なんらかの形で子供たちに自信をつけさせてあげられたら。そして親たちが子供の本当の幸せに目を向けられる環境づくりができたら。私たちにはその準備があるし、必ずできると思っています。人が幸せになることを助けることや、手伝うことには、誰も反感は持ちません。つまり人を幸せに導くことは、ビジネスになるのです。これからは世界の拓人として、私たちのノウハウを諸外国へ広めていくつもりです。

変わる前に変わる。それが成功のキーワードです。

かつて、集団塾という形の中で満足していたお客様たちが、「一人ひとりへのサービス」というものに気づき始めたのが約20年前。それを嗅ぎつけた私たちはいち早く個別指導を導入し成功することができました。今後、さらに濃度の高い要望に応えていかなければならない時代となり、よりかゆいところに手の届くサービス、個人に対してのカスタマイズをさらに徹底するサービスが求められるでしょう。

私たちはもうその準備を始めています。時代時代で人の欲望は変わります。夢も希望も憧れも、それを叶える手段も変わります。拓人はそのニーズを先取りして、変化し続けてきました。まだ誰もそのニーズに気づかない間に、どんな変化が起きるのか将来を見据えながら、確信を持ってコツコツ準備してきたわけです。そしていざその時が来たら、自信を持って市場に公開する。すると今まで本人さえ何を求めていたのか分からなかった人が、お客様となって次々にやってくるのです。

その時にはこう言うんです。「いらっしゃいませ。お待ち申しあげておりました」と。経営者としてこれほど気持ちいいことはありません。
変化を恐れる時代は終わりました。私たちは常にアンテナを張り、変化を嗅ぎつけ、時代が変わる前に変わらなくてはなりません。拓人はそれを実践してきた企業です。これからも私たちは「拓く人」であることを止めないでしょう。これを読んでくれている方に、この思いが伝わることを祈っています。

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